私たちは、自分の考えや理性によって行動を選んでいると思いがちです。
しかし、実際には「心が自分をコントロールしていない」瞬間が数多くある――。
そんな現実を静かに示してくれるのが、ロバート・ライト著『なぜ今、仏教なのか』(ハヤカワ文庫NF)です。
著者は、心理学・宗教学を教え、現在はペンシルベニア大学の客員研究員を務める科学ジャーナリスト。
仏教思想と進化心理学を融合させ、マインドフルネス瞑想の科学的意義を解き明かしています。
モジュール仮説――「心の中に複数の自分がいる」
ライト氏が紹介する「モジュール仮説」では、
人間の心は多数の“モジュール”(状況判断や反応を担う小さなシステム)の相互作用で動いているとされます。
「人の行動を決定づけるのは、こうしたモジュールの相互作用であり、その大半は本人が意識することなく起きている」(p.110)
つまり、私たちが「自分の意思で決めた」と思う行動も、
その裏で複数の心理モジュールが自動的に判断し、先に反応しているのです。
進化心理学から見る「心の設計」
進化心理学の観点からも、心はゆっくりと進化してきました。
「心は少しずつひとかたまりごとにつくられ、人類が新しい試練に直面するたびに新しいかたまりが追加されてきた」(p.110)
私たちの“感情”や“直感”は、古代の生存戦略の名残として今も働いています。
だからこそ理性では抑えきれない感情があるのです。
嫉妬――心の暴君としてのモジュール
嫉妬の感情は、その典型例です。
進化の過程で、配偶者の不貞を防ぐための戦略的プログラムとして形成された、とライト氏は指摘します。
「嫉妬は、心理的メカニズムを制御するプログラムを動員するために特別に設計された動作モードだ」(p.122)
理性で止めようとしても、身体が先に反応してしまう。
心が「自分を乗っ取る」瞬間です。
感覚が自我をつくる
私たちは「自我」が感情をコントロールしていると思いがちですが、実は逆です。
「心理状態は感覚が引き金になって導かれる」(p.128)
感覚が先に立ち上がり、
“自我”はあとから理由づけをしているだけ――。
この構造を知ることが、仏教の「無我」に近い気づきへとつながります。
錯覚としての「私」
「CEOや王がいて、意識ある『私』がその王だと感じる錯覚はしぶとい」(p.128)
“自分が世界を動かしている”という感覚自体が、錯覚かもしれません。
仏教の「無我」は、まさにこの錯覚を見抜くための実践です。
マインドフルネス――錯覚を静める方法
では、どうすればこの錯覚の支配から抜け出せるのでしょうか。
ライト氏は、マインドフルネス瞑想をすすめます。
「感覚が演じている役割を変えることだ。マインドフルネス瞑想ほどそれにふさわしい方法を私はほかに知らない」(p.131)
感覚をただ観察し、評価せずに受け止める。
それによって「心の自動反応」に気づき、少しずつ距離を置けるようになります。
感想――“理性では届かない自分”とどう向き合うか
私自身、感情に振り回される瞬間が多くありました。
そのたびに「なぜこんなことを考えてしまうのか」と自分を責めていたのですが、
本書を読んで、「それは心のモジュールの働きであって、自分のせいではない」と理解できました。
マインドフルネス瞑想は、その心の流れを静かに観察する訓練です。
感情を消すのではなく、感情に“乗っ取られない”状態を保つための技術。
現代社会でこそ、「仏教」が必要とされる理由がここにあります。を与えている感覚との付き合い方を考えるうえで、マインドフルネス瞑想は役に立ちそうです。


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