「自分が本当にやりたいことって何だろう」という疑問は高校生時代くらいからあった疑問で、忙しさにかまけて考えなくなり、何かのきっかけで立ち止まって考える必要が出てくると頭をもたげてきて、限られた時間の中でその時点での答えを出しながら歩んできました。
『増補改訂版スマホ時代の哲学』の中に、その問題に一つの答えを与えてくれそうな部分があったので、取り上げます。
本との出会い
今回、この本はオーディブルで聞きました。
評判がよいから聞き始めたというより、偶然の出会いでした。
私はオーディブルで村上春樹の作品を聞くとき、一つの作品が終わっても次の作品にすぐに移れず、その作品について考えたり他の人のレビューを読んだりする時間が必要になります。オーディブルは空いた時間を有効活用するのに便利ですし、課金されているものだから、隙間時間があれば聞かないともったいない。そんな時に作品のブラウズをしていて見つけて聞き始めた本でした。
分量が多いためでしょうか、読むペースが速く感じられ、普段哲学書に触れない私にとっては聞きなれないタームが現れ、登場時に説明されていたのでしょうが馴染む前に先に進んでいくので、「まあ聞いておくぐらいにしておこうか」ぐらいの気持ちで聞いていました。
「本当にやりたいこと」
油断して聞いていると、くだんの「本当にやりたいこと」が出てきました。
それは第5章「ハイテンションと多忙で退屈を忘れようとする社会」でした。
現代社会のしんどさを乗り切るべく、自己啓発に飛びつき、自分の内面に確定的な答えがあると信じて、自分探しに熱中することに警鐘を鳴らす文脈の中で出てきます。
人間が言う『本当にやりたいこと』なんて、今の自分がたまたま、一時的に、それが一番いい状態だと勘違いしている幻想でしかない(p.254)
これはこの本ではなく、『弱キャラ友崎くん』という小説からの引用で、映画「ドライブ・マイ・カー」(脚本のもとになったのは『女のいない男たち』)に出てくるチェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』の説明として出てくるものです。
ひとまず選ぶ
心から「本当にやりたい」と思っていても、それは簡単に変化します。知識や経験が少なく、想像できる範囲が狭いときは特にそうです(p.255)
まさにその通り。高校生くらいの経験では、考えても出てくる答えではないのです(人によるでしょうが)。
なので、若い時から経験は多く積む方がいい。少ない経験でも、とりあえず「その段階での」判断をして選択をすること。
私は小さいころ寿司を食べて、寿司屋になりたいと考えたものでした。
ある時点で選択をするには、考えた時点の経験・情報から選ぶしかない。ひとまず選ぶこと。そしてしばらくそれをしてみること、なのでしょう。
しばらく?
「しばらく」は人によって違うでしょう。
例えばー社会人になったら2,3年は続けてみた方が、次の仕事に移るときに都合がいい」とか、雇う側の立場に立って考える必要があったりします。
無理は禁物
しかし、あまりにブラックな職場で自死を選ぶのは論外です。
そんな時は誰か、話を聞いてくれる人が必要です。
まとめ
「本当にやりたいこと」という永久不滅のものが自分の中を探して見つかるというものではありません。いろいろ経験してみることや、人の話に耳を傾けること等、外に開かれておくことも忘れないでください。
ちなみに、このまとめは私がこの本の一部に刺激を受けて、自分が今まで考えてきたことのまとめであり、本書の主張のまとめではありません。
興味を持たれた方は、実際に本書を手に取ってみてください。もっと深い、哲学する態度が語られています。こちらに自分なりの備忘録を記載していますので、どうぞ。
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