はじめに:立ち止まる瞬間に見える問い
「自分が本当にやりたいことは何だろう」――。
高校生のころから繰り返し頭をよぎってきた問いです。
忙しさにまぎれて忘れていても、ふと立ち止まる瞬間に再び顔を出す。
そのたびに、限られた時間の中で暫定的な答えを出しながら、歩いてきました。
そんな問いに、一つの光を当ててくれたのが、谷川嘉浩さんの『増補改訂版 スマホ時代の哲学』でした。
本との出会い:偶然の「聴書」
この本にはAudible(オーディブル)で出会いました。
「評判がよかったから」ではなく、まさに偶然。
村上春樹作品を聴き終えたあと、空いた時間に何となくブラウズしていて、目にとまったのです。
Audibleは「ながら聴き」に最適ですが、哲学書はなかなか骨が折れます。
専門用語が多く、テンポも速い。聞き流すだけではなかなか頭に残らない。
それでも「まあ聞いておくぐらいにしておこう」と気楽に聴いていました。
そんな中、不意に「本当にやりたいこと」という言葉が出てきたのです。
「本当にやりたいこと」という幻想
それは第5章「ハイテンションと多忙で退屈を忘れようとする社会」の一節。
現代人が「退屈を避けるための多忙」に逃げ込む姿を論じる中で、こんな引用が出てきます。
「人間が言う『本当にやりたいこと』なんて、今の自分がたまたま、一時的に、それが一番いい状態だと勘違いしている幻想でしかない」
(屋久ユウキ『弱キャラ友崎くん』より、p.254)
一見ライトノベルに思えるこの言葉が、実に鋭い。
私たちが「本当にやりたい」と信じていることも、実は「その時点の最適解」にすぎないのです。
つまり、「本当にやりたいこと」は“発見”するものではなく、“更新され続ける”ものだと気づかされます。
ひとまず選んでみる
心から「本当にやりたい」と思っていても、それは簡単に変化します。知識や経験が少なく、想像できる範囲が狭いときは特にそうです(p.255)
高校生のころの自分がどれだけ考えても、見える世界は限られていました。
だからこそ、「ひとまず選ぶ」ことが大切なのだと思います。
完璧な選択をするよりも、今の自分が出せる答えを選び、しばらく続けてみる。
寿司を食べて「寿司職人になりたい」と思った幼少期の私のように。
「しばらく」の長さは人それぞれ
「しばらくやってみる」と言っても、その期間は人によって違います。
社会人になれば「2〜3年は続けた方が次に活かせる」と言われることもありますが、
状況や心身の負担を考えれば、すべての人に当てはまるわけではありません。
無理をしすぎない勇気
ただし、どんなに「続けること」が美徳だとしても、命を削ってまで頑張るのは本末転倒です。
ブラックな職場で心身を壊してしまう前に、誰かに相談する、逃げる。
それも立派な「選択」です。
おわりに:「やりたいこと」は探すものではなく、出会うもの
「本当にやりたいこと」は、静かに内省すれば見つかる“真理”ではなく、
世界に向かって試し、失敗し、人と出会いながら形づくられていく“動的なプロセス”なのだと思います。
自分の内側だけで完結せず、他者との関わりや新しい経験を通して、
やりたいことの輪郭は少しずつ変わっていく。
そうした「変化を受け入れる姿勢」こそ、現代を生きる上での哲学なのかもしれません。


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